「虚実」を理解することは、武術の本質を体得することに通じる。
どんなに威力のある打撃力を持っていても、
相手に当てることができなければ、効果を得ることはできない。
殴ろうと思って出されたパンチは、容易にかわすことができても、
無意識で出されたパンチは避けづらいものである。
ここに武術の難しさと、奥ゆかしさがある。
では、無意識に手が出るとは、どういう状態なのだろうか?
それでは、武術の本質を語ってみよう。
太極拳において、「虚と実」は「陰と陽」であり、一対である。
初学時から習う雲手(うんじゅ)を例にとってみよう。
雲手は左右の手を身体の前で、交互に回転させている基本動作だ。
右手が実の意でもって相手に粘をかけている間に、
左手の指先は、虚の無意識のまま鼻先に戻ってくる。
そして、そこで左右の手の虚実転換が起こる。
この、虚実転換が受けの基本となり、攻撃の基本となる。
相手を右手で殴りたいのであれば、左手を実にしてタイミングをとる。
左手が実になれば、右手は虚となり、無意識に飛び出す。
これは、いかなる武術においても、永遠の真理だと思う。
映画「燃えよドラゴン」でBruce Leeは空手家のO’haraと立ち会う。
お互いに静的に構えた状態から、Bruce Leeの裏拳が顔面に炸裂する。
彼は左手を実にしてタイミングとり、右手を虚で飛ばしている。
武術のセオリー通りの動きだ。
Bruce Leeは映画の世界に武術のタイミングを持ち込んだ
最初の人ではないだろうか。
相手のターゲットに手が触れた瞬間に、自分がパンチを繰り出したと悟るようでないと武術家であると呼べないのかも知れない。