武術において「正中線をとる」とよく言われるが、どういった意味合いだろうか?
私の理解では、相手にやられると思わせる瞬間であり、
言い換えれば、こちらは、もらったと思える瞬間となる。
打撃系の武術では「先の先」と合わせて説明される場合もあるように思う。
私は、力学的な角度から説明ができるのではないかと考えている。
「正中線をとる」は、中国武術にはない表現だが、私の武術の経験から語ってみたい。
正中線は解剖学的に、正面を向いてまっすぐ立った時、左右を対称に分ける縦線と定義するようである。
中国武術に正中線という言葉はないが、常に「正面を向くな」と教えられる。
相手に対して常に半身の姿勢で構える。右肩前か、左肩前かどちらかである。武術に正面を向く姿勢はない。これは、中国武術では人体を板とみなし、構造的に平たい方が正面となる。正面から押されれば弱いが、横から押されても強いので耐えられる。
つまり、「正中線をとる」とは相手の中心線を弱い角度から攻めることと解釈できる。
「な〜んだ、簡単ではないか」と思われるかも知れない。
しかし、正中線をとるために回り込もうすると、当然ながら相手も防御しながら回転する。
結果として正中線はとれない。正中線をとることは、単純な動きではできない。
戦いにおいて右構え、左構えの半身の姿勢は、頻繁に転換する。
中国武術では左右の入れ替わりは、相手に気づかれないように行えと教えられる。
これを「すり抜け」と呼ぶ。
軸でもって、ゴロンと左右が入れ替わるのは、低級な動作と見なされている。
太極拳も例外ではなく、武術である以上、軸で回転しているわけではない。
相手の拳を受ける時は体軸が消え、半身の姿勢が左右入れ替わる。
太極拳ではこれを「化勁」と呼び、これができないと強くなれない。
武術は時間軸で言えば「先の先」、「後の先」の取り合い、空間軸で言えば「正中線をとる」駆け引きとなる。これらは、全て無形の世界であり、初学時には見えない世界である。
武術はこういったレベルが見えてきて、面白くなるものである。
お互いに武術の高みを目指して汗をながそうではないか。