現代太極拳を見ると、スポーツ的な動きになっており、競技用の早い太極拳は肩を振ることにより動いている。胴体が棒か丸太のように一体で動いている。
そこには、丹田を起点とした背骨の伸縮としなりがない。
太極拳は内家拳であるが、現代太極拳にはその特徴が見られない。
また、歩幅が広く低い姿勢をとる場合が多く、足の筋肉で重心をゆっくりと移動させている。
足が重たく、太腿の筋肉を使い、重たい胴体を上に乗せているイメージとなる。
これでは、敵と戦うことはできない。
なぜ、現代太極拳は武術としての色彩が色褪せ、惨めな状況になってしまったのだろうか?
ここでは私の見解を述べさせていただきたい。
太極拳が武術として後退したのは、定式型に見られる踵着地の呪縛に囚われてしまったことが原因ではないだろうか。
歩く時は左右交互に足を前に出すので、踵着地が普通である。
しかし、武術では半身で構え、前足を虚で出し、虚で着地する。
前足は、つま先が地を離れ、つま先で着地する。
虚のつま先は、相手の動きに合わせ、着地地点を探っている。
つま先着地から、踵が地面に接するまでの時間は短く、虚実転換は一瞬である。
これが、武術である。
また、敵が後退すれば、歩幅は長くなる。
この場合は、踵着地になる。つまり、実で着地する。
虚実転換は前足が浮遊の状態で、つまり、着地前に起こっている。
伝統太極拳は現代太極拳みたいに、前足の踵が着地してから、「よっこらしょ」と重心移動させることはない。
敵と相対して攻撃のタイミングを計っている時は、丹田を中心に左右の足は虚実転換を繰り返しており、相手からはどちらの足に重心が乗っているかわからない状態となる。
太極拳では「無極を踏む」とも表現する。
武術において、踵に体重がのる時間は短く、踵が地に接していると見える場合でも、指先の付け根に体重が乗っており、足は丹田とつながった状態で霊活している。
武術の歩法とは、骨盤が動くことで、自然に足が出る。
歩法を相手に読まれないことが、武術なのだが、なぜか、現代太極拳の歩法は相手に読まれやすい。伝統をことごとく無視した動きになっている。
踵を踏むことは、足を固定させることであり、一瞬でなければならない。
足に重心が乗った重い足であってはならないのである。
武術の足は、「軽硬」といって、軽くて硬いものである。重い足では戦えない。
これは鉄則であり、太極拳も武術である以上例外ではないのである。